2015年02月07日

「古びること」から考えたこと

今朝のラジオで建築家の隈研吾さんが、年月を経て美しくなることについてお話していました。

馬事公苑にある東京農大の「食と農」の博物館の設計するときに、当時の学長 進士さんから「ちゃんと古びていく素材でつくってね」といわれたそうです。農大といえば、やっぱり自然とは切っても切り離せない関係。自然と調和するには、いつまでもピカピカ新しいものでなく自然に古びていってなおいっそう美しさの増す素材(つまりそれは天然素材)がいいということなのでしょうね。

造園の世界では、庭に石を配置するにも美しい苔が生えるようにわざとそういう石(苔の生えやすいタイプの石?)を選ぶこともあるそうです。日本の伝統的な美学に古趣という言葉もあるし、古びるって実はとっても素敵なことなのかもしれません。(モノを売りたいメーカーさんは困るでしょうが…)

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(もう二匹ともお空にいってしまったけど)

若い子犬もめんこいけれど、年老いた犬のなんともいえない深い味わい(滋味)というのもあって、そうやって考えると ヒトも若くなくなるというのも捨てたものではない のかな、なんて、ふふふ。(← あほ (-_-;)

冗談はさておき、最近少しはわたしもものごとの道理とかそんなことも考えるようになって、静かでたんたんとしたものの中にも佳さ、愉しさを見出せるようになってきたような気がします。

特に農業をやってて感じるのですけれど、自然を相手に無理に力でねじ伏せようとしても思うようにはならなくて、でも日々の小さなことを大切に積み重ねていくと結果はそのようになっていくというか、そんな風に感じています。秋にトマトの姿を見れば、どんな管理をしてきたか一目瞭然。ウソやごまかしはききません。 (^^;

だからといって修行僧のように厳しい日々かというと(そういう一面もあるけれども)日々の中に歓びもあって、結局のところ、農業をするには自然に寄り添ってその力を利用させてもらって一緒に行くようなのがいいのかな、とか、そんなことを考えています。


                       Asako
posted by tomato at 20:07| Comment(0) | あれこれ
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